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不思議なバイト [昔の話し]

だいぶ、ご無沙汰していました。

いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。

(ある日、ブログのページビューが一日で約900回の時は些かビックリしましたが・・・・)


前回、友達とお蕎麦屋さんに行った時に車の中で友達に「しかかまるんと居るとなんか霊感が強くなった気がする」と言われました。

その友達は、亡くなった友達の夢をみたり、今まで感じなかった事を感じる様になったといいました。

私は「マロン(旦那)も同じ事を言っていた!(笑)多分私がアンテナみたいになっているのだと思う」

勝手な解釈で位置づけしてしまいました。

今回はアンテナ繋がりで思い出した話をしたいと思います。


何年か前にスピリチュアルのMNさんの所に頻繫に遊びに行っていました。

ちょうどMNさんが家の片づけなどをしていたので自然な流れで手伝う運びになりました。その延長線上でMNさんがレストランを営業する事になり、開店するまで色々とお手伝いしていたらアルバイトをする事になり、自分でも成り行きが理解できない状況になっていました。

私は夜中(2時)まで仕事をしたり、旦那(マロン)が休みの時に仕事をするのには抵抗がありました。

車の貸し借りも保険が適用にならないので考慮して欲しいと思いました。

MNさんは外国の友達なので日本人のルールは当てはまらないのです。(文化の違い)

賃金も私だけがもらう形になっていました。(他の人もアルバイトをしたかったみたいです)

MNさんのヒーラーのメンバーも大勢手伝いに来ていました。

食材やら色んな物がMNさんの贈り物としていつも沢山店に届いていました。

(経営の観点から見て家賃も無料でこれでいいのだろうか?思っていましたが口には出しませんでした。


ある日のこと突然、MNさんがいきなり白目をむき崩れる様に店の中で倒れてしまいました。

(店にはMNさんと私の2人だけ)

(持病があるとは聞いていないので混乱)

私はMNさんの息を確認して(息がある)上手く説明できないのですが(霊の気配)何かに襲われたと瞬時に思ったのです。救急車を呼ぶ為に携帯電話もテーブルに出しMNさんの背中をひたすらさすっていました。

幸いなことに直ぐにMNさんが意識を取り戻しました。

私は「救急車で病院に行こう、買い出し中のMNさんの旦那さんに今、電話するから」言い終わらない内にちょうどMNさんの旦那さんが帰って来ました。直ぐに旦那さんが駆け寄り何か呪文の様な言葉で何かをジェスチャーしています。(お祓いをしている)

私はMNさんは持病があるの?かとMNさんの旦那さんに問いただしました。

MNさんが「違うんだよ、悪霊が・・・しかかまるんが追い払った、ありがとう・・・」

私は「ポカン」として頭の中を整理する為にただ黙っていました。


話を総合すると、MNさんはスピリチュアルの初期メンバーのある1人とお金を支払って活動する、しないで仲たがいし方向性の違いからその人は独立。その人は多額の報酬で今も活動していている。(禁断の呪詛も請け負う)

無料のMNさんの所に皆が来てしまうのでMNさんの存在が邪魔らしく、いつもMNさんは(呪詛)呪われているとの事です。


その日を境に厨房で作業をしていると人が横切る気配がします。(気のせいだと受け流す)

ある日私は、鮮明に白い上下の服で大柄の恰幅のいい男の人(外国人風)が厨房の行き止まりを横切るのを見てしまいました。

MNさんに白い服の男の人の特殊を伝えると、例の人だと言いました。(MNさんの動向が気になり生霊で訪問)

どうやら私はMNさんの近くにいるので第六感のアンテナがビンビンの様です。

更なる事態になっていきます。

MNさんの取り巻きの人から(私は賃金も貰っている)嫉妬を受け始めました。

無視をされて、私がやる事なすことに重箱の隅をつつく様に鼻を鳴らしながら見ています。


私の推測だとMNさんが私の事をみんなの前で褒めたのです。よく気が付くし悪霊からも救ってくれてとか・・・

しかし悪循環に嫉妬の起爆剤になってしまいました。(私は倒れたMNさんが助かる様に心から祈っただけです)

頻繫に取り巻きの人達に「悪霊追い払える人は純粋な心で高い霊力持ってる人なんだけど・・・あなたそうなの?」聞かれました。(上から下まで嘗め回す様に見られた)

(心の中は、霊力?そんなん知らないよ!こちとら穢れだらけだよ!命を殺生して(食べて)色んな人に迷惑かけて生きて○十年。だからなんだって言うの?)

私は、それを聞いて微笑みながら(目は笑ってない)佇んでいました。(バイトを辞めたい気持ちが固まる)

私なりの理由がありました。

私は、たまに人の感情が読み取れる時がありました。相手の感情が私の心を浸食して読み取れるのです。

MNさんと一緒にいるので感度が最高潮にビンビンになり、当時は相手の心が手に取るように分かりました。

(人に言うと気持ち悪がられるので滅多に言わない)


後日、MNさんと2人きりだったので思っていることを打ち明けようとしました。

先にMNさんに言われてしまいました。「バイト辞めたがっている、しかかまるんに意地悪する人がいるから」

「しかかまるん真面目でちゃんと仕事をする、1人で三人分ぐらい働いてくれる、考え方が建設的で私に必要だから辞めないで!」

凄く褒めてもらったのは嬉しい事なのですが・・・辞めないで!先に言われてしまい・・・

(MNさんの霊力で筒抜けなので困惑)

ゆくゆくは将来、ここの店長をやって貰いたいなどと色々と言って頂きました。

私は「MNさんは凄く皆に慕われているから私が近くにいると嫉妬が凄い、私はそうゆう、しがらみが嫌いだし、心底くだらないと思ってしまう、仕事とは関係ないこと」と説明。


私を評価してくれて見えない所で理解できる人に出逢えるのは一生に一度あるかないかぐらいの人物でした。

ヒーラーのメンバーに幻滅して尚且つ(霊感)感度がビンビンで心の声が丸聞こえなのが耐えられなかったのです。

このままMNさんと一緒に居て日常茶飯事にお化けも見る事となると私のキャパを超えてしまうと思ったのです。

側にいるだけで否応がなしに霊感が強化されるという不思議なバイトでした。


その後、私は速やかにバイトを辞めました。


それから数年後にMNさんの身内と会う機会があり「その節はすみません」と謝罪しました。

その時にやっと胸のつかえがとれた気がしました。



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自由 [昔の話し]

いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。

この間、凄く綺麗な二重の虹を見ました。あんなに綺麗な色が出るのが何とも不思議でした。

勿論、写真を撮ってみんなに幸せのおすそ分けをしました。(強制ですが・・・)


私が高校生の時で(母の兄)おじさんのお葬式の時の話しです。

車を母の実家の近くの公民館に停めていました。

姉が免許取り立てで姉の新車の車に乗って来ていました。

田舎のお葬式なので駐車場も止めたら順次車を押し込む感じに駐車していました。


身内なのでいち早く母が火葬場に行きたいと言い出しました。ですが車は奥に停めてあります。

私は「出れないから車どかしてくれる様に言ってくる」

母は「そんな時間ないんだよ」「パッと出ればいいんだよ」「お姉ちゃん早く乗って出して」

明らかに無謀です。

両端は車で囲まれて三十センチ間隔しかなくバックして下がっても後ろの車が飛び出て邪魔していました。

姉は無理だよ!運転したくないよ!と言う顔をして「でも、でも」とあたふたしています。

(姉は苦労している母の言いなりになることで母の精神的な支えになるといつも思っています。)

私は「やめた方がいいよ~免許取ったばっかりだし誰かの車にぶつけたらお金掛るよ」

「そんなに言うなら免許取り立てのお姉ちゃんじゃなくお母さんが運転して出せばいいんじゃない?」

私は母の逆鱗に触れてしまいました。

母は「も~お前はいつも減らず口ばっかり言う~」イライラした顔で鬼の形相です。

「お姉ちゃんの車なんだからお姉ちゃんが運転するの当たり前だよ」

私「えっ!」

母は「三人で見れば大丈夫だよ、私が前を見てお姉ちゃんが運転しながら見てお前が後ろを見ればいい」

(車って1人で運転するものじゃないの・・・・)

私「無理だからやりたくない」「どかしてもらった方が早いよ」

母は「いいからやればいいんだよ!」吐き捨てる様に言い放ち、かなり激おこです。

姉は嫌々ながら母の言う通りにし始めました。やはり後ろの車が飛び出ているので脱出するのは無理だと思いました。

私「ぶつかりそうだしこれ以上は無理」

母は「ここまで来たんだから出れるから」

私「・・・・・」

〈ガリガリ、ゴリッ〉

やはり、ぶつかってしまいました。

母は「ちゃんと見てなかったから~やる気がないから~(私の顔を見て)お前の責だ!」言われました。

私は一方的に責任転嫁されて怒られています。

私は幾ばくかフリーズしてから正気を取り戻し、いつものパターンだなと思って呆れて聞き流していました。

姉は人の車にぶつけたとシクシク泣いています。


母の姉が「何を大声で騒いでるん?」と見にきました。

母がしかかまるんの責任でこうなってしまったと説明していると、母の姉が「いい加減に怒るのやめて!」

「この車は私のだからいいよ!私が後ろに停めたのが一番悪いんだから、

しかかまるんの責任にするのはよしなさい!」


おばさんは私を擁護してくれました。

母は弁償しなくて済むと思ったのか安堵の表情をしていました。


理不尽な事とはこのことです。

私は母と一緒にいると違和感だらけで苦痛で耐え難いと思うようになっていました。

同じ血を分けた親子だからいつか理解しあえると思うのは神話や絵本の世界だけです。

親子だからこそ所有物みたいに扱われ有無を言わさず無理難題を押しつけられる存在。

いつもひしひしと感じていたのは夫婦仲が悪い鬱憤のはけ口にされてきたという事。

母は攻撃している自覚がないので一生気づいたり反省したりすることはないでしょう。

可哀想な人だと思いますが私とは根本的に価値観が違います。

違う意味で反面教師で学ばせて貰いました。


自由になる自由があると私はいつも思っていました。

心に無理をさせても、いつか病んでしまいます。

自分を守るのは自分だけだと思う私の独自の考えがブレる事はありませんでした。


変わった子だと思われても

私は心が自由がいいのです。
















タグ:無謀 自由
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大人になってみたい [昔の話し]

いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。


小学校低学年の頃の話になります。

私もだいぶ、歳をとり今だから淡々と冷静に話せる昔の出来事です。


私の家は親の夫婦仲が悪くいつも喧嘩が絶えませんでした。

家の窓硝子は割れて段ボールが貼ってあったりしていました。

ついでに子沢山という経済的にもあまり良くない家庭環境でした。

まあハッキリいうと貧乏子沢山です。

色々ありますがこのエピソードはとても象徴的で後々の私の人生を左右する話になります。


ある日の夜遅くに父が交通事故に合ったと連絡がありました。当時母がとても取り乱していたのを覚えています。

当時は携帯電話などなく連絡は的確に伝わるご時世ではありませんでした。

車の破損具合から瀕死の重体説になっていました。

父が運ばれた病院に家族で向かいました。古くて汚なくお化けが出てきそうな病院だなと当時の私は思いました。

父は麻酔で寝ていて所々血がついていました。

「ねえ、ねえ、死んじゃうの?」と母に聞くと「煩いから黙ってて」と言われました。

父は麻酔で寝ていましたが幸い瀕死の重症ではありませんでした。

父は何日か入院をしていましたが、二回目のお見舞いに行った時には「痛いんだよ」

と切れて叫びながら父は点滴を引っこ抜いていました。

私は子供心に普通の人の神経ではないと思い、自分の父親を侮蔑と恥ずかしい気持ちで見ていました。

父と母が何か言い争いをしていましたが、いつものことなので私はその場から離れました。


母が運転する帰りの車の中で兄弟姉妹は寝ていました。

私もウトウトしていましたが母が殺気だってアクセルをふかした音がしました。

私は、はっとして飛び起きました。

母の方を見て「飛ばし過ぎだよ」「スピード出て怖いよ」「ぶつかるよ」

母は「なんで?」「このままぶつかって死ねばいいんだよ」「みんな一緒だから大丈夫だよ」

母の殺気を察知した姉も起きてシクシクと泣いています。

(姉は母に対してイエスマンなので何も言えません)

私は「ぶつかったら死んじゃうよ」「私まだ子供で大人になってない」

「大人になってみたい」

母は「お前は分からないんだよ、大人になってもいいことなんてないよ」

私は「大人になってから考えるから」「○○(弟の名前)も寝てるけどそう思ってる、兄弟みんなそう思ってる」

「お願いだから大人になってから考えさせて」「お願いだから・・・・」

当時の私は幼いながらに祈る様に手を合わせて母を一生懸命説得していました。

家に着いた母は捨て台詞に「生きてたっていいことなんてないんだから」と吐き捨てる様にいいました。

私は刺激しないように沈黙していました。

子供なのに大人みたいに考えななきゃいけないことにかなり戸惑った事を覚えています。


あの時母が思いとどまければ、かなりのスピードを出していたので少しでも運転操作を誤れば全員死んでいたでしょう。

(説得しても一か八かでしたが・・・)

母に私達は無理心中をさせられるところでした。


勿論、母の運転する車に乗るのは理由を付けて暫く拒否していました。

母は自分の事は棚に上げて無理心中の件は無かった事になっています。いかにも自分は良い母親だと言い張ります。

同じ土俵の上に上がって言い争うつもりは私には一切ありません。(時間の無駄です)

何を言っても無駄な人が世の中にはいるのを知っているからです。

(それに昔の事を今更です)


私は小さい頃からの親の違和感をいつも感じて生きて来ました。

違和感を感じることで自分を見失う事なく自分を必要以上に責める事をしませんでした。

それが客観的で良かったのだと思います。


誰かの著書に「生きてるだけで百点満点」という題名がありました。

私もその通りだと思います。


生きているだけで丸儲け~

今日も焼き芋が美味しいです。



























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ロックオン3 [昔の話し]

ロックオン2の続きになります。


無事に中学を卒業して(涙の一滴もこぼさない程、私は擦れてしまっていました。)N先生とも接点が無くなり、N先生と会う機会がなくなった事で私は安堵しました。

あんな気持ち悪い人と関わらなくて済む~解放感です。

彼は、無垢でまだ純粋な私に強引に性的に搾取を試みた先生、の肩書を持つ残念な大人でしかありませんでした。

私には完全否定の人物にしか思っていませんでした。


その出来事は突然、起きました。

平穏に高校生活を過ごしていたある日、近所を歩いていると車がゆっくりと横を通り過ぎて行きました。

運転をしているのに顔は後ろを向いています。危ないな~思って見た顔はN先生でした。

私はとっさに建物の陰に隠れました。


悪夢が蘇ります。ちょっ・・・とあり得ないんだけど~まだロックオンされてんの?

(血の気が引くとはこのことです。)

後ろを向いた顔はビックリした目で私だと確認するのに必死の形相です。

私は家まで帰るのに道路は危険だと思い、急いで田んぼを横切り、N先生に遭遇する事なく家に辿り着きました。(悪夢に心臓がバクバクと波打ってました。)

私はしおらしく泣いた後に怒りがこみ上げて~負けるもんか!モードになるタイプらしく

当時、金けりを練習したり高校の友達に相談したり、小刀を持った方がいいか真剣に考えていました。

(N先生が何回か私の家の周りをウロチョロしているのを目撃していました。)

最終的にN先生は、私が高校を卒業したのを皮切りに勝手に偶然を装い会いに来る気がしました。


けれど天は私に味方をしたのです。(神社にお願いしていました。)

結論を言いますと、社会人になり甥っ子と散歩している時にN先生の徘徊(ストーカー)に遭遇した私を見て、N先生は私が産んだ子供と勘違いしたのでしょう。

硬直して、悲しそうな目で呆然とつっ立っていたのがN先生を最後に見た記憶です。

長年のロックオンからの、今で言うストーカーから私は解放されたのです。


百歩譲って、なぜ最初からN先生は私に好意が有るか確認しなかったのだろうか?

確認していたら別の意味でお互い長年苦しまなくて済んだのに。

お互いに先生と生徒が相思相愛なら卒業してからは自由だと思う。

嫌われていると分かっていて、どうにかなる(強硬手段)と思う思考に(卑怯)私は、到底理解できないのです。

「恋愛になるには、まず、人として好きになってから恋愛に発展したりするんじゃないんですか?」

声を大にしてN先生に言いたい~お酒が飲めるようになったら一緒にうんたら~言ってたけど・・・(興味がないので全然、聞いてない)

しかかまるん、一滴も飲めません。下戸です。~残念~

皆さんに読んでいただきまして、N先生の話は浄化されました。

感謝申し上げます。

ロックオン 完





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ロックオン2 [昔の話し]

ロックオン1の続きになります。


みんなN先生に興味がなかったのかN先生の噂も早々と収束していました。男子の中ではかわいそうにと言う雰囲気も無くなり、中学二年生活も終わりかけた時でした。

私は、その時、学校の階段を一人で上っていました。後ろから誰かが慌てて来た気配がして軽く後ろを振り返るとN先生がいました。階段の踊り場で「しかかまるん」と呼び止められるや否やあっという間に私は、先生の両腕でロックされていました。

(先生の両腕の牢屋)

私は、とっさに両腕をN先生と私の間に入れてガードしました。抱きしめられたと言う言葉も使いたくありません。

私は、N先生にロックされてグイグイと引き寄せられていました。

私は、「気持ち悪い~止めて~」N先生はハア~ハアと1人で興奮して腰を押しつけています。

「お前の事は特別な存在だと思っている、他の生徒とは思いが違って・・・ス・・キ・・」

少しでも力を抜くとキスをされそうで私は、足でバタバタともがきました。私が無我夢中で蹴り上げたのでしょう、私は、N先生の両腕から逃れられ弾け飛ぶ様にその場にうずくまりました。

不意に、視線の先を見ると不良っぽい男子生徒が、どの場面から見ていたのか分かりませんが(こいつら付き合ってるの?スクープ?)野次馬顔でニヤリとしながら突っ立っていました。(いやらしい顔にお前もか?直ぐに助けてが言えない)

私は、助かったと同時に恥ずかしさと汚された気持ちでその場を一目散に逃げていました。

その日は最悪な一日でした。

N先生は彼女がいなくなったから私に目をつけてきたんだ。(ロックオンされた。)

私は、泣きたい気持ちより怒りがこみ上げて、その日をどう過ごしたか覚えていません。

誰にも相談できる人が私にはいませんでした。母の口ぐせは何でも「お前が悪い」です。論外です。

友達には詳しくは言いたくないけれどN先生に絶対に近づきたくない、あいつは先生じゃない、敵だ!危ない奴だと説明した記憶があります。

それから、私とN先生の攻防戦が始まりました。

中学三年生になり、N先生は担任から外れました。けれど私は、狙われて、付きまとわれていました。

体育館の集会などがあると民族大移動さながら電車の混雑の痴漢みたいに、私の隣りに張り付いて身体を押しつけてきます。(かなり気持ち悪い)

その時は気配を感じると走って逃げたり、違う場所に無理に割り込み、ひたすら逃げます。

給食の時間になると、私が廊下側の一番後ろの席をいいことに隣りのクラスの陣地の廊下からずーっと、じっとりと見てきます。その時は睨みながらドアをバシバシと何回も閉めます。

三年の担任の先生も薄々N先生と私のピリピリとした関係に気付き始めました。

(私の事を知りたいN先生は私の三年の担任と仲良くしだしたのです。進路も筒抜けだと思いました。)

卒業まじかに三年の担任の先生に、しかかまるん悩み事があるんじゃないか?1度聞かれました。

社交辞令とスパイ行為だと感じた私は「何もありません」と言ったのを覚えています。

信用できる大人がどこにもいなかったのです。1人で戦うしかありませんでした。(当時本気で思っていた。)

私はどうなっちゃうんでしょう?

次回に続く



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ロックオン1 [昔の話し]

いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。

その時々の気分によって「野生の勘で生きてます日記」ブログと「波瀾万丈エピソード」ブログを書いています。

不定期ですので、ご了承下さいませ。


この話は今だから、だいぶ年を取った私だから書ける話しです。

多感な中学二年生の時の話しです。

最初の違和感に気づいたのは、確か学校の文化祭の準備をしている時だったと思います。

友達と教室の南に出ているベランダから教室の中にいる仲の良い友達が私達を探しているのを見て楽しむ遊びをしていました。

私は、今度は隣りのクラスのベランダをハイハイして非常階段を降り校舎に戻って廊下から静かに教室に入って友達をビックリさせよう~と提案しました。友達もそうしょう!となり実行しました。

隣りのクラスは普通に授業中でしたが、シーというジェスチャーをしながらハイハイして突破し誰にも見つけられずにトイレにも寄り、教室の廊下までたどり着くことができました。

友達と笑いながら教室に向かったのを覚えています。

廊下に着くと直ぐに教室の友達が、何処に行っていたの?N先生が、しかかまるんがいない~いない?

騒いでたんだよ!用があるみたい~先生の所に直ぐに行った方がいい、と言われました。


私は、さっきまで楽しかったのにめんどくさい、と小さい声で吐き捨てながら

渋々教壇に向かいました。「トイレ行ってたんですけど何か用ですか?」

N先生は、いるんだったらいいんだよ~見当たらなかったので心配したんだよ~何処にいたんだ?

私は、「そこら辺にいました。」

(学校にいるのに心配したなんておかしくない?私の事を監視している?)

私は、早々に切り上げたいアピールをして友達を頻繫にチラチラと見て直ぐにお暇しました。


それからおかしい事が続きました。林間学校でカッターを漕いでる時に、N先生がカメラを私に向けて撮っている感じがしました。(やはり、見られて、監視されてる、怪しい人認定。)

宿泊施設では夜寝るときに男子は一階のベットで女子は二階のベットで雑魚寝です。

寝ている時に何か嫌なことをされないか?不安がよぎりましたが取り越し苦労でした。

旅行ハイなのか?クラスの不良っけのある女子がN先生の腕を組んでべったりと甘えていました。朝、下を見るとN先生は一緒にその女子と寝ていました。

(思春期特有の異性を意識し始めて手っ取り早く近くの大人の男の人に恋愛感情を抱く感じですかね?)

当時の私には到底理解できない、気持ち悪いので考えない様にする感じです。


林間学校の写真で事件が起きました。張り出した写真の番号に記入していないのに買う羽目になってしまったんです。私が写っていない写真を買うのに腹が立ちました。母にも無駄なお金だと罵られる始末です。

放課後の教室で人もまばらな時間帯にN先生に理由を説明しても取り合ってもらえませんでした。

N先生は張り出した写真から好きな写真を私にタダでくれると言いだしました。

私は、自分の写っている写真を早めに見つけて譲り受け、早々に退散する事にしました。

N先生は私の近くまで寄ってきてモゴモゴと話し始めました。

「N先生はしかかまるんだけ特別だから」とか、「お前の事、他の生徒より大切に思っている」とか、「他の生徒には言ってはダメだから」とか~

ハッキリ言って私は、聞いていません。ちゃんと聞いてしまったら恐ろしい事になる、と野生の勘の警告が鳴りました。

私は、「じゃあ、これだけ頂きます。ありがとうございました。」

忙しい振りをして、早々と走って「気持ち悪い~」廊下で叫びながら~逃げる事に成功しました。


その当時、男子だけにN先生が三年間付き合った彼女と別れて落ち込んでいる、お前達もいつか経験する事だから~

この話は女子には内緒で男同士の約束だから女子には言うな!、という噂が広まった。

(男子だけにN先生が話したらしい、子供だから思いっ切り話が漏れている)

私は、あの気持ち悪い~N先生にも彼女がいたんだ~(うえ~)ぐらいにしか思っていませんでした。


まさかその時に自分に余波が来るとはこれっぽっちも考えていませんでした。

次回に続く


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水先案内人 [昔の話し]

波瀾万丈エピソードは 人とは違う視点で自己判断する私と、綺麗ごとではない経験をフェイクも入れて綴っています。(独断と偏見です。)

どうか、ご了承下さいませ。


何年か前の冬の話しです。

その前に私の家庭環境をざっくばらんに話します。父は、飲む、打つ、買う、の三拍子、いわゆる、ダメ親父、今風だと毒父でした。

印象深く思い出すことは、家の電話は、借金取りからかかって来るので、 父が電話線を切っていました。電話する時はクリップみたいなのに挟んでから電話をかけていました。(今、思うと笑える)DVも、度々。 外から帰って来るとお風呂に入った匂い。(大人になると分かる?)


何せ、仕事が続かないので健康保険証はないから、捻挫した時も医者にも行けなかった次第です。


話を戻します。


その父は、母と熟年離婚した後に東京のおばちゃんに面倒を見てもらっていました。(父の実の妹を東京のおばちゃんと呼んでいました。)父の直ぐ下の弟もダメ男で、東京のおばちゃんは二人のダメな兄弟の面倒も見ていました。

時々、母からじじー(父)が熱中症で死にそうになっていたのを隣りの○○さんが見つけて 助かったんだって~

見つけなくて良かったのに~余計なことして~と興奮して話しているのを聞きました。(色々といきさつもありますが、母もあの父と結婚生活ができた程の毒母です。)(客観的に普通の家族の会話ではありません。)


そんなこんなで月日は流れ~


東京のおばちゃんから、父が病院でもう長くはないので子供たちで最後のお別れをしたい人は来なさいと言われましたが、誰も行きません。子供がいたことも今まで、考えないで生きてきた人~入院していた時も子供の名前、全員言えなかった人

(人でなしと思われても行きたくない諸事情が兄弟各々ありました。)


そして何年か前の冬、家の中でそれは起りました。何かが私の目の前にいて、もごもごと喋っています。

私は、ふと、何か違和感を感じ、立ち止まりました。面倒くさそうな感じで、もごもごと小さな声で聞き取れません。

私の三歩前にまろん(旦那)がいて、もごもごが聞こえたのでしょう、 後ろを振り返って目を見開いています。

私は、直ぐに父だと思いました。 声だけ聞こえて、見えません。私の見た感覚だと、ミラーボールみたいに空間が歪んで見えます。

父は子供の事を思いやる人ではないのに 何で私の所に来たのだろう?

アッ...

私の家は知らないはず。

あの世に行く前に自分の子供に最後にお別れを言いなさい~水先案内人みたいな世話人がいて父を連れて来たと思いました。なぜか、確信がありました。 死んだらその後の段取りを考えてくれる人がいると思いました。。

私の思っていることをまろん(旦那)に説明しました。


それから数週間後の土曜日

私はまろんと、父の故郷の実家のお墓に私なりのケジメを付けるために行ってきました。父は実家のご厚意でお墓に入れて貰っていました。

今までの恨みつらみ、母の病的な人柄の責任の一端など、心の内を話しました。

今までの事柄をお互い水に流し、あなたとは来世ではもう二度と関わりたくはない。


ありのままの、正直な気持ちを伝えました。


最後に、ありがとうございました、と締めくくり...


心が解放された気持ちになりました。

タグ:水先案内人
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